中学受験「社会」:東海道五十三次、富嶽三十六景について

長女が社会で今学んでいるのは、江戸時代中期から後期だ。浮世絵は江戸時代に流行した庶民的な絵画だが、葛飾北斎の「富嶽三十六景」、歌川広重の「東海道五十三次」が有名だ。塾のテキストに載っていた絵から、どちらの作品にも富士山らしき絵が描かれていることに長女が気付く。この山は富士山?と質問されたことから、2つの浮世絵について調べてみた。

 

富嶽三十六景とは

富嶽三十六景は葛飾北斎が72歳頃に発表した浮世絵。富嶽とは富士山の別称である。つまり、富嶽三十六景は富士山が題材となった浮世絵ということだ。当初は文字通り36図の出版物の予定だったが、売れ行きが好調だったことにより、10図追加され、合計46図となった。この10図は「裏不二」と呼ばれる。富嶽三十六景の成功により、名所絵というジャンルが確立した。

 

葛飾北斎について豆知識

葛飾北斎は1760年に生まれ、1849年に没したとされている。なんと享年90歳。葛飾北斎というのは雅号(ペンネームのようなもの)で、この雅号で活動していたのは1805年~1810年頃と言われている。富嶽三十六景の作成に取り掛かったのは1820年代であり、この頃の雅号は「為一(いいつ)」だった。北斎は生涯で30回以上、雅号を変えている。晩年には「画狂老人(がきょうろうじん)」「卍(まんじ)」など奇抜な雅号を用いていた。

北斎は引っ越しの多さでも有名である。生涯で93回も引っ越したとされ、1日に3回も引っ越したこともあるという。絵を描くことに集中するため、部屋が荒れたり、汚れたりする度に引っ越していたようだ。

 

東海道五十三次とは

東海道五十三次は歌川広重によって描かれた。五十三次の「次」とは、江戸から京都までの東海道には53の宿場があり、江戸から京都まで荷物を運ぶ場合に、53回の継ぎ替えをしなければならなかったことが由来のようだ。1601年、東海道に宿駅伝馬制度が敷かれた。この制度では、公用の旅人や荷物に関して宿場間を無料で輸送できた。輸送の範囲は原則的に隣の宿場までだったので、その都度継ぎ替えが必要だったのである。

東海道五十三次では7つの絵に富士山が描かれている。川崎(六郷渡舟)、平塚(縄手道)、箱根(湖水図)、原(朝之富士)、吉原(左富士)、由井(薩タ嶺)、舞阪(今切真景)の7枚だ。

原(朝之富士)の富士山のみが大きく描かれており、その他の6枚では遠方の富士山として小さく描かれている。

 

 

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