中学受験「社会」を深掘り:フランシスコ=ザビエルについて

フランシスコ=ザビエルはあの独特な肖像画?も相まって、日本史上最も有名な人物の一人ではないだろうか。中学受験における日本史ではザビエルについて、「1549年にキリスト教を伝えた人」くらいしか学ばないが、彼を深く知ることで当時の日本と世界の関わりの一端が見えてくる。

 

フランシスコ=ザビエルの出生

多くのテキストではザビエルはスペイン人と記載されている。ザビエルは1506年、イベリア半島の小国ナバラ王国に貴族の子として生まれた。このナバラ王国はのちにスペインに併合されたため、実はザビエルはナバラ人ということになる。

 

イエズス会とは

ザビエルはイエズス会所属のキリスト教徒である。ザビエルがパリに留学していた1534年、ザビエルら7人の同士によって設立されたカトリック教団の一つである。当時のヨーロッパでは宗教改革によりプロテスタントの動きが活発だったため、カトリック派も勢力の挽回を図って、アジアでの布教活動に力を入れていた。イエズス会は1540年に教皇により公認され、積極的な布教活動を開始した。ヴァリニャーニ、ルイス=フロイスなど、日本で活躍したのはいずれもイエズス会宣教師である。

ザビエルの布教活動

教皇によりイエズス会が公認された翌年(1541年)、ポルトガル王の要請に応じて、ザビエルは布教活動のため、インドのゴアに赴いた。ゴアは1510年にポルトガルが占領しており、ここを拠点として東に進出していた。ポルトガルは1511年にはマレー半島のマラッカを占領し、1557年には明よりマカオを割譲されている。

1547年、ザビエルはマラッカにて日本人アンジロー(ヤジロー)と出会う。アンジローは日本で罪を犯した後にポルトガル船でマラッカに渡ったと言われている。アンジローはザビエルの通訳者として活躍した。

アンジローとの出会いにより、ザビエルは日本での布教を決意。1549年に鹿児島に上陸した。ザビエルは当時の有力大名である大内義隆、大友宗麟などの保護を受けて、布教を開始した。1551年、日本での布教を終えゴアに戻ったが、翌年には中国での布教を目指した。しかし、中国上陸目前に病のため、46歳の生涯を閉じた。

 

南蛮文化

ザビエルら宣教師の活動により、南蛮文化が伝わった。ザビエルは大内義隆に機械時計、眼鏡、火縄銃、葡萄酒、オルゴールを贈ったとされている。喫煙(タバコ)の習慣は鉄砲伝来と共に伝わったと言われている。ポルトガル人が日本に紹介したものの中で最も喜ばれたものの一つがオルガンだったと言われている。

カルタ、カステラ、カッパ、コンペイトウ、シャボン(石鹸)、ビードロ(ガラス製品)、パン、ラシャ(毛織物)、ジュバン(襦袢:和服用の下着)などはポルトガル語が由来の言葉である。

 

まとめ

ザビエルらの布教活動により、日本ではイエズス会の勢力が強まっていった。

キリシタン大名の大村純忠は熱烈な信者で、1580年には長崎の統治権をイエズス会に託した。そればかりか寺社や先祖代々の墓までも破壊したり、仏教徒の追放、6万人の領民をキリスト教の改宗させたりしている。

一方でイエズス会内部には、長崎を拠点として、武力での日本の制圧を主張する者もいたという。このような動きの中で豊臣秀吉によりバテレン追放令が出されることになった。

 

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